2013年12月9日月曜日

「板持廃村再生プロジェクト」

高見島での作品展示は、住民の暮らす浦集落を舞台としている。
しかし、この板持廃村再生プロジェクトだけは、
浦集落から2キロほど離れた板持集落でのプロジェクトだ。

人口減少の続く高見島で、
十年前に、板持集落は人の住まない集落となった。
人が去ってから十年経つと、集落はどのようになるのか?
そのような興味から始まったプロジェクトである。
生い茂る草木を刈り取って、板持集落に残る暮らしの痕跡をよみがえらせる。
これが「板持廃村再生プロジェクト」だ。



海岸脇の階段が、板持集落の入り口。
うっそうと茂った草木のトンネルくぐり抜ける。





板持廃村再生プロジェクトを実現するための作業は、専ら草刈りだったと聞く。
人がいなくなった集落は、
道も、家も、石垣も、草木に覆い尽くされていたのだ。
緑に飲み込まれた集落。
植物の繁殖力に圧倒されながらも、
以前は集落内を行き来する小道であった場所の草を刈り、
人が通れる状態となった。





草刈りされた小道は、以前の姿を取り戻したが、
しかし、小道の脇に建つ家々は、
竹や蔦、そして降り積もった枯れ葉に覆われて、もはや全体像が見えない。
木造の家屋は、植物によって浸食され、雨風によって腐食してゆく。



板持集落の頂上に位置する廃屋に到着した。


庭の草が刈り取られ、庭全体と家屋の一部が姿を現している。
人工物を覆い尽くす植物の刈り取りは
遺跡の発掘を連想させる作業であっただろう。
この光景は「過去の遺産」だ。
しかし、島の方の口から出たのは、
ノスタルジーをはるかに超えた、心に刺さり来る言葉であった。
「あそこは島の未来だ」

板持集落の光景が
高見島の未来ではないことを心から願う。







海岸線に沿って、筒状の立体が並ぶ。
島で使われなくなった瓦がていねいに積み上げられた構造物。
高さは、人の背丈を超える。



 


「望郷の火」と名付けられた、立体コース卒業生の若林亮さんの作品は、
会期中の毎週末、主を失った廃材を「かがり火」にするプロジェクトだ。
この筒状の立体は、「炉」としての構造をもつ。


午後5時、点火。
炉の底に設けられた穴から空気を送ると、
ゴーッという音をたてながら火柱が上がり始めた。


最終の船が高見島を発つ黄昏時。
船上で「望郷の火」を眺めながら高見を去る人々が、手を振ってくれる。
島に残る若林さん、精華大学のスタッフが、船に向かって手を振り返す。
「また来てねー」
京都の夏の風物詩、五山の送り火を連想させる。
去る人々を見送りながら、再会を願った。




夕闇が深くなるにつれ、火柱も勢いを増してきた。
数十メートル離れていても、熱が伝わってくる。
高見島の夜闇に浮かび上がる眩い光、
静寂に漂う火柱の音と、火の粉の音。
船とともに人の去った島。
夜が更けるまで、輝きと轟きを放出し続ける。














高見島は除虫菊の産地であった。
およそ40年前の高見島の写真を見ると、島が除虫菊の白い花によって覆われている。
しかしその後、科学的に合成された蚊取り線香の普及によって、
除虫菊の生産は途絶えてしまったのだそうだ。
除虫菊が島を覆う40年前の高見島


「除虫菊の家」は、
立体コース内田晴之先生と陶芸コース卒業生の小川文子さん、田辺桂さんによる作品だ。
高見島に除虫菊の揺れる風景をよみがえらせ、
その除虫菊を用いて巨大蚊取り線香を制作するプロジェクトだ。

除虫菊の畑
収穫した除虫菊を掃除する


春、草むらを整地し、畑をつくる。
除虫菊の種をまき、育てて、夏に収穫。
乾燥させた除虫菊を素材として
秋には、一軒の古民家でのインスタレーション作品「除虫菊の家」を作り上げた。




「除虫菊の家」に入る。
玄関先の土間には、壷一杯に盛られた除虫菊の乾燥花。
可憐でありながら、堂々とした存在感を放つ。
この春から夏、高見島の大地で育てた除虫菊の一部だ。






土間から室内に目をやると、壁にモノトーンの風景写真が目に飛び込んできた。
かつての島の風景、除虫菊の畑だ。
三枚の絨毯のように床に広がるのは、今年収穫された除虫菊。
三枚の質感の違いに、目を凝らしてみると、
手前の四角は雄しべ、中央は種子、奥はがく。
除虫菊の花は分解され、それぞれの部分ごとに床面に敷かれている。
かつて高見島を覆った四角い除虫菊畑と
古民家の床に四角く敷かれた今年の除虫菊が
時を隔てて、つながっている。

除虫菊の雄しべ、種子、がくによるインスタレーション

手前から、がく、種子、雄しべ

こちらは、除虫菊の花びらによる作品




香りに誘われて、二階に上がる。
漂う懐かしいこの香りは、除虫菊から作られた蚊取り線香の香りだったのだ。
芸術祭のスタート時に点火され、
会期中、絶えることなく燃え続けるように、
螺旋状に並べられた蚊取り線香。







島の時間と重なり合うように
静かに、ゆっくりと、白い灰へと姿を変える蚊取り線香は、
「今」という時が、やがては柔らかな追憶へと変わるその過程を
絶えることのない細い煙によって静かに語っているようだ。
古民家の暗闇に浮かぶ、流れる時間の風景。




2013年11月25日月曜日

作品の数々に導かれながらの散策。
階段や坂をのんびりと上っていくうちに、かなりの高台に到達した。
眼下に大きな瀬戸内海が横たわる。




この豊かな瀬戸内海に囲まれた高見島。その暮らしの基盤は、漁業であった。
海を眺めながら、昨日の民宿の夕飯を思い出す。
ホットプレートの上で暴れる大きな蛸。
その姿がショッキングだったので、私の脳裏に強く焼き付いた「高見島の蛸」。
そういえば、海辺には蛸壺が、壁のように積まれていた。
この海には、うじゃじゃと蛸が生息しているのかもしれない。
そんなことを思いつつ、立体コースの吉野央子先生の「蛸の家」へと向かう。

蛸の巣を持つ習性からインスピレーションを得て作られた「蛸の家」
古民家一軒を蛸の住処に見立てたインスタレーションだ。



「蛸の家」に上がった最初の部屋。
木彫の蛸から「まあ、一杯!」との言葉が聞こえてきそうだ。
テーブルにへばりつき、顔を真っ赤にした蛸が、来客をもてなしてくれる。




奥の部屋では、蚊帳の中に横たわる蛸。
蚊帳の裾の青が、眼下に広がる瀬戸内海を思わせる。
縁側から注ぐ柔らかな自然光を浴びながら、
海の夢に漂うお昼寝の蛸。




二階は、かつて倉庫として使われていた空間だ。
床に配置された壷の数々。
よくみると、その一つ一つから、にょろっと蛸が足を見せている。
足先だけをちらっと覗かせる蛸を見ていると、
家の隅々の暗闇から、蛸の足がにょろっと伸びてきそうだ。
その気配に誘われて、
振り向いたり、覗いたり・・・
思わず蛸探しをはじめてしまう「蛸の家」。






2013年11月18日月曜日

洋画コース卒業生の中島伽倻子さんの「うつりかわりの家」を訪れる。

古民家の中に入ると、真っ暗な空間の中に、ぽつりぽつりと浮かび上がってくる小さな光。次第に、壁にも屋根にも無数の光が点々と浮かんでいることに気づく。

壁や屋根に等間隔の穴をあけ、その穴に光を通過させるアクリル棒を埋め込んで、
その穴から、屋外の光が屋内へと通ってくる構造だ。

余分な物が一切排された潔さ。
天候とともに、時間とともに、季節とともに、うつりかわる光の叙情。
そしてその美。




2013年11月11日月曜日

「サブ家」と看板の掲げられた家を見つけた。
版画コース大学院生の迫鉄平さんの作品「サブミッション・ハウス」だ。
刷り上げた膨大な版画で埋め尽くされた家。高見の風景の色調は自然色。サブミッション・ハウスの屋内の壁面を埋め尽くす広告や雑誌の印刷—その色は原色で、くらっとする目眩の感覚。目が痛い。

しかし、しばらくそこにいると、その痛いくらいの刺激が心地よく思えてきた。

迫鉄平さん「サブミッション・ハウス」内部

そういえば、大都市と呼ばれる場所に佇むと「都会は毎日お祭りだ」と思うことがある。色と音の氾濫。強烈な刺激、刺激への陶酔。メディアを通して、眩惑のお祭り騒ぎが、この静かな島にもなだれ込んでいる。そして、一人また一人と島から都市へと島人が流れ込んだのかもしれない。そういう想像を抱きつつ、サブミッション・ハウスを後にした。


高見島は、細い路地が家々をつなぐ。石垣と家屋に挟まれた小道の散歩は、前進しないと先の風景が分からない。だから、思いがけない風景と突然の出会いをすることも楽しみのうちの一つだ。真っ赤な紅葉、眼下の海・・・







中塚邸から順路をさらに進む。
朽ちて崩壊した廃屋が現れた。
人の立ち去った家屋は、雨風そして植物によって屋根・壁が浸食され、保管されていたはずの生活道具が溢れ出す。時間の流れに抗えず、押し崩された暮らしの場。






この廃屋を見下ろす高台に、「刻」が設置されている。
立体コースの大学院二回生の青木亜樹さんの作品だ。およそ二ヶ月の間、高見島で滞在制作を行った。「島に流れる時間と自分の時間が重なる」ところに生まれた作品と、青木さんからうかがった。島に流れる時間と、作るという行為の時間とが重なり合って生まれた構造物。蛸壺として使われる貝殻、漁網、農具、そして島の時間、青木さんの時間が堆積している。さらには、それが風化してゆく過程も作品の一部となってゆく。

青木亜樹さん「刻」